2017年最後も大詰め
1年を12か月で区切って、その最後だから特別……だと考えるのって、よく考えると二次創作(というか創作全般)に似ているような気がします。
勝手にルールをつくって、勝手にそれを普及させて、勝手に特別感を出す。他を下げて一点を突出させるよりは好ましいというか、さわやかなやり方だとは思いますが。
最近はあまり読書もできておらず。というか読むものが偏ってばかりいるので、飽きてきた印象。石田衣良先生なんかは、「目指すジャンルの本を200冊読めばプロになれる」とおっしゃっておられました(うろ覚えですが)が、すぐに飽きてしまいそう。
200冊読むとして飛び飛びでもいいですか……?
今日は(年末だからとかは関係なく)部屋の掃除と作業場を新しく設置。といっても簡単な場所の移動のみですが。最近、プラモを始めたのでその作業とキーボードを叩くスペースを確保しようとしたのです。
SNSで、ベテランモデラーさんの凄い作品が手軽に閲覧できるので、下手に目ばかり肥えていくのが悪い。自分なんかの下手な処理では彼らの作品にまったく追いつけないですが、そんなの当たり前。
本来、なんらかの技術を得るには長い修業期間が必要で、むしろそれを経ず手軽に会得したものはすぐに使えなくなると思います。
便利な時代ですから、使えるものは何でも使って効率化を図るべきだとは思うのですが、そうなると結局どこで差が出るのかというかソフト面。一度ソフト麺と変換されましたが、ソフト面。
発想や情熱、熱意といったソフト面は人間のアタマで生み出すもので、記憶や計算といったハード面の機能はマシンにお願いする。
家事なんかでもそうで、洗い物なんで機械に任せればいいんですよね。その分読書をしたり、好きなことをすればよいわけで。
というか、本来そのために人間は便利な道具をたくさん発明してきたはず。
話がそれました。修業期間の話ですね。
少し前に話題になった(今も問題かもしれませんが)、イラストレーターさんに激安で依頼がくるという話。さんざん書かれていますが、それまでその絵描きさんが技術の習得のためにかけてきた時間というものがある。それは外からは見えないので、実際の自前見積もりと外からの見積もりに多大な乖離が発生してしまうというわけですね。
知り合いに絵描きさんがいたり、自分でも絵を描く人ならわかるのでしょうが、そうでもない人からしたら案外わからないものなのかもしれませんね。
ピクシブやツイッターで、短時間にたくさんの人のイラストが見られる時代になったから、その価値が低くみられるかも……なんて考察もさんざんされてきているでしょうけど。
一般的に、身近=安い なんですよね。コンビニで売ってる食べ物なんて、けっこう美味しかったり自分は調理できないものでも、「お手軽な安物」扱いですし。
ありがたみ、というのは希少さに直結するのです。
コンビニで売ってるものは確かにお手軽かもしれないけど、大量生産と企業のノウハウが詰まったれっきとした商品なんだよなぁ、と思う次第。別にコンビニの回し者ではないのですが。
と、長ったらしく書いていますが結局何を言いたいのかというと、SNSで見かける凄腕モデラーさんたちの作品とつい最近手を出し始めた自分の作品を比べること自体おこがましい、ということ。というか、趣味なんだから究極の自己満足でOK。
そりゃあ、「あんな風にすごいのが作りたいなあ」というのは向上につながるとは思いますけれど。
そんなことを考えているとヤスリもミスるし、あわせも甘いし、要らないライナー踏んで足が痛いし……ほーっ。
有力なライトノベル作家がラノベしか知らないわけではないように、力のあるシナリオライターがゲームシナリオしか知らないわけではないように。
結局、レシプロ機をつくるなら第二次世界大戦に詳しい方が楽しくつくれて上達する……みたいな話なんですかね。
元阪神の赤星選手、サッカーがめちゃくちゃ上手かったらしいですし。
あの俊足でサイドを駆け上がる赤星選手……少し見たかったかも。